渡瀬恒彦は芸能界で最強?語り継がれる最強伝説4選!
芸能界の中で一番腕っぷしが強いと評判を集め、数々の伝説を築き上げてきた名俳優が、故・渡瀬恒彦さんです。
2017年3月14日に多臓器不全のため72歳で亡くなり、日本の俳優界をリードしてきた渡瀬恒彦さんの死に日本中が悲しみにくれました。
そんな渡瀬恒彦さんですが、芸能界で最強とされる伝説をいくつも作ってきたことをご存知ですか?
ここでは、渡瀬恒彦さんが芸能界で最強と言われるキッカケとなった伝説などについて紹介していきます。
1.渡瀬恒彦が芸能界最強と言われる伝説4選!
渡瀬恒彦さんは、早稲田大学法学部に在籍している最中、空手部に籍をおき段位は弐段でした。
俳優界には特に興味はなく、電通PRセンターに務めるなどエリートサラリーマンの人生を貫き敷かれたレールを歩き安定した人生を送っていたのです。
しかし俳優を志すようになったことで、1969年に東映と契約し数々の映画に出演し日本の俳優界をリードします。
同じく名俳優の渡哲也さんを兄に持ち、2011年の年末スペシャルドラマで40年ぶりに共演を果たしました。
さて、そんな渡瀬恒彦さんですが、芸能界最強と言われるキッカケを作った伝説が数多く存在するので、以下から代表的なものを紹介していきますね。
@ 俳優の胸ぐらを掴んでテーブルに叩きつけた
俳優やタレントとして活躍している坂上忍さんが、渡瀬恒彦さんとドラマで共演する機会がありました。
クランクイン前に行われた食事会で、お酒が入っていたこともあってプロデューサーと1人の役者が言い合いの喧嘩に。
お互いが胸ぐらを掴む一触即発の状態になったとき、渡瀬恒彦さんが無言で立ち上がり役者の前へ。
そして役者の胸ぐらを掴んでテーブルに叩きつきたのです。
その場は一気に静まり、そのまま食事会は進行し役者は何も言うことが出来ず大人しくなったとのこと。
様子を見ていた坂上忍さんは、「言葉はいらない。その姿勢に感動した。とてもカッコいい」と感じたそう。
言葉ではなく行動で語り、それを周囲の人が認めるほどまでの説得力を持っていたことを当時の坂上忍さんは実感しました。
それが、今の坂上忍さんを形作っていると言われ、渡瀬恒彦さんの俳優に対する強い想いが理解できるでしょう。
A スタントマンを一切立てずにアクションシーンを撮影した
渡瀬恒彦さんは、役者の鏡として先輩や後輩から尊敬されており、その影響力は現在の俳優にまで及んでいます。
彼が芸能界最強とされる伝説の一つに、「アクションシーンをスタントマン立てずに撮影する」というエピソードがあるのです。
バスジャックを題材にした映画、「狂った野獣」で、渡瀬恒彦さんは日本の映画史上で一番危険と言われるアクションに挑戦します。
それは、猛スピードで走っているバスをオートバイで追いかけ、並走してバスの窓に飛び移るというもの。
当時はもちろんCGなどは存在せず、全てを自身の体一つで表現をしなければならず、今なら大問題に発展するでしょう。
窓に飛び移っただけならまだしも、その後はバスを運転してパトカーを何台もぶつけながら、最終的には横転しクラッシュします。
ここまでをスタントマンを立てずに行った訳ですから、渡瀬恒彦さんが芸能界最強というのは納得できますね。
B 腕っぷしに自信がある俳優をシメる担当だった
東映の映画の撮影所では、腕っぷしに自信がある人が入ると、まずはそれをシメるところから始まっていました。
当時は暴走族上がりなど、本物のチンピラを起用することが多く、縦社会の厳しさを教えてあげる必要があったのです。
また、その当時は殺陣師と呼ばれる人々は本物の剣豪で、剣道を初めとした武術を体得している猛者ばかり。
そうした人たちに、チンピラが叶うはずがなく、すぐに打ち負かされてしまい、そうして上下関係を理解するようになりました。
さて、チンピラに限らず東映の映画に出演する俳優の多くは、腕っぷしに自信があると豪語する人ばかり。
まるで暴走族のたまり場のような状態になっており、そうした人々に体で指導していた怖い俳優がいる中、一番恐れられていたのが渡瀬恒彦さんです。
渡瀬恒彦さんは喧嘩に自信がある、入りたての俳優をシメる担当をしており、命知らずでとにかく何でもやりました。
血気盛んな俳優を相手にしても、すぐにボコボコにしてしまうので誰も彼に逆らう人はいなかったとのこと。
C 先輩俳優すら渡瀬恒彦の強さを認めている
俳優界に限らず芸能界では上下関係が厳しいことで知られいますが、現在は少しそうした面が柔らかくなっています。
ですが渡瀬恒彦さんが全盛期だった頃は、今とは比べ物にならないほど上下関係が厳しく、信じられないエピソードも多いです。
渡瀬恒彦さんも当時の上下関係を理解しており、先輩に対しては柔らかい物腰をすることで知られ、礼儀正しい人物でした。
それでも腕っぷしの強さに関しては、先輩俳優ですら恐れており彼に手を出す人は誰もいなかったのだとか!
大先輩の梅宮辰夫さんは、渡瀬恒彦さんについて「小林旭もかなり強かったが、渡瀬に比べたら大したことはない」と恐れるほど。
梅宮辰夫さんも全盛期の頃は無茶苦茶な人で、様々な伝説を作り上げてきました。
その梅宮辰夫さんですら、渡瀬恒彦さんを恐れていたのですから、最強という伝説があるのを理解できるでしょう。
ここまでで、代表的なものを取り上げましたがこれ以外にも、
- 安岡力也を駐車場でボコボコにした
- 松田優作を一瞬で倒した
- 岩城滉一を簡単に倒した
- ガッツ石松が「恒さんに比べたら大したことはない」と言った
- 1人で米兵3人をボコボコにした
最強とされる伝説エピソードが次々と出てきており、渡瀬恒彦さんがどれだけ芸能界で暴れまわっていたかが分かりますね。
2.渡瀬恒彦は最強と言われるのを嫌ったのは何故?
渡瀬恒彦さんが芸能界最強と言われるのは、伝説にもなる様々なエピソードが明らかにされてきたからです。
1970年第の東映の撮影所は、毎日誰かが喧嘩をしており血気盛んな俳優がゴロゴロしており、その中でもダントツに強かったと言われているのですからよっぽどでしょうね。
酒に酔って吐くシーンがあれば、本番前にべろんべろんになるまで酒を飲みまくり、本気で吐くぐらい演技に対して常に本気を出している渡瀬恒彦さん。
彼の演技に対する取り組みは、高く評価されていますが、それと同時に最強のエピソードが語られています。
ところが当の本人は、自身が最強と言われるのを嫌っていたとする噂が広まっているのをご存知ですか?
では、どうして最強と言われるのを嫌ったのでしょうか?
渡瀬恒彦さんはとにかく出世欲などはゼロで、自分は目立つ立場にいる人間ではなく、「脱サラ俳優」である点を強調していました。
つまり、他の俳優に比べて動機が不純で俳優としての信念が欠如していると思い込み、前へ出ようとするタイプでは無かったのです。
とにかく俳優という仕事、演技に対しての魅力を強く感じており、そのために仕事をしているに過ぎません。
ですから自身が前に出る、「芸能界で最強」と言われるのを嫌い、どこまでも謙虚に、そして謙遜な態度を取るのを忘れませんでした。
こうした点が挙げられ、渡瀬恒彦さんは最強と言われるのを嫌っただろうと考えられています。
3.渡瀬恒彦の伝説が世の中に広まっている理由
渡瀬恒彦さんに限らず、1970年代に大活躍した俳優の多くは、かなり無茶な行動をしており今では伝説として語れる人ばかりです。
それでも芸能界最強という、頂点に君臨するような発言が渡瀬恒彦さんのエピソードからは目立ちます。
これはかなり異例なことですが、どうして渡瀬恒彦さんの伝説だけは、ここまで世の中に広まっているのでしょうか?
- それだけ彼のエピソードがずば抜けていたから
- 事務所や周囲の人が意図的に伝説を流している
- 2017年に死去したことで注目を集めるようになった
こうした理由が挙げられていますが、一番可能性として高いのは「2017年に死去したから」という点です。
元々、渡瀬恒彦さんの腕っぷしの強さなどは、俳優の間で語り継がれていましたが、世間に広くは浸透していませんでした。
ところが72歳で亡くなったことをキッカケに、前述したように坂上忍さんが、渡瀬恒彦さんの最強エピソードを明かすなどしてどれだけスゴい人物だったかが明らかにされます。
そこから、芸能界で最強と古くから言われ続けた渡瀬恒彦さんのエピソードが、水が溢れるかの如く流れ続けました。
俳優やプロデューサーとの対談などで持ち上がった、渡瀬恒彦さんの伝説が再度ピックアップされたり、インタビューなどで語られた部分が抜粋されたりしたのです。
短期間に多くの最強エピソードや伝説が出てきたので、世の中に急激に広まるようになったとい流れが、世の中ひ広まっている理由と考えられています。
まとめ
ここでは、渡瀬恒彦さんが芸能界で最強と言われるキッカケとなった伝説などについて紹介していきました。
渡瀬恒彦さんは、腕っぷしなら芸能界で誰にも負けず、ガッツ石松さんですら敵わないと言われるほどですから、相当なものがあります。
スタントマンを立てずにアクションをこなしたり、酒で吐くシーンでは大量のお酒を飲んで本気で吐くなど、演技に対する情熱も伝説級にスゴさがありました。
当の渡瀬恒彦さんは、とても謙虚で謙遜な方ですから、芸能界最強と言われるのを嫌っていたとも考えられており懐の深さが伺えます。
72歳でこの世を去った訳ですが、彼の伝説は人々の心の中で生き続けているのです。